社畜節

仕事がら渉外業務もあり、営業の方とお話をすることがある。その中で特定技能実習生の外国の方の雇用の営業が受けることがある。現在は名前も変更しているのかな?忘れたけど。ただ、至れり尽くせり制度であるのは言うまでもない。だからといって、その仕事を誰がするのか?みたいな問題が出てしまうのも事実だが、日本の現状を見た時に。どう見ても分母。消費者のパイという面で,ここ10年くらいが勝負だろうか?と僕自身が感じている。

 

人間が減っているのだから。この場合の人間とは、日本人である。日本人が減って

いるのだから。企業が倒産するよねー。という軽いノリで営業の方に話す。もちろん。

当社も例外なく、中小企業なので。多分、持たないですよ。満面の笑み。すると不思議と営業の方が固まる。この辺りは心理戦である。駆け引きである。取引であり、ディール事である。嘘か誠か。情報の非対称性は、当方にも先方にもあるのだ。

 

何でもプロジェクトや物事を進める時に短期・中期・長期スパンで物事を考えること。

そこに自分の仮説を伝えると営業の方の方が困惑するという謎現象に名前を付けたい。

 

そこを動かすのが、営業の役目では?と思ってしまう。のだが。僕は大人だから言わないことにしている。でも、現実的に短期・中期で考えると必要とも考えていると伝えると相手の営業が始まる。どういうこと?とこちら側が困惑する。その時の判断は素早い方がいい。だが、僕はヒラ社員だ。予算も持っていない。

 

だから。とりあえず今は、ありがたいことに外国の方を受け入れていない状況で現場を回している。

 

去年。新卒求人サイトへの稟議で。経理OK→上司で差し戻しがきた時にビビった。なぜ?と上司にフランクに問うと。金銭的に難しいと。でも新卒を採用しろ!と。どう接続したら、その答えに?という疑問というより謎が出て困ったことを未だに覚えている。もはや迷宮入り寸前である。稟議書。その額。30万。経営層と上層部の1人の給与の0.03%削れば出ますよ。なーんて言ってしまう僕が悪い。バチくそ怒られた。癪に障ったので、その倍以上に上司を詰めた。どうやって採用活動と予算組みと活動するか教えてくれと。いつの間にか、僕は大人から子供に変化している。もはやコナン状態。そして勝ち目のない戦である。いゃ、負け戦の殿。

 

でも。まぁ。この程度の修羅場くらい。悪いがくぐり抜けてきている。基本折れないので。大手企業の採用サイト営業に。その営業担当は、まだ若いピヨピヨの営業さんで。見積書の書き方を教えて、そっちの上司に相談せい!と伝えて。金額は同様だが、支払いの分割と、支払い日の調整をさせて。現在、新卒サイトを継続している。しかも、合同説明会付きである。これで30万である。

 

コレをケチるなら。もう潰れるくらいの勢いであるのは事実だ。比喩で言えば、飛ぶ鳥を落とすくらい。の逆。殺虫剤を浴びせて藻掻く害虫のよう。

 

その営業の方との話の中で、特定技能実習生。1人あたり50万以上するんじゃね?という。この矛盾。どうかしているわ。笑ってみたがワンダーな世界過ぎて声は出なかった。当方もワンダーなら。先方の外国人人材受け入れの営業もワンダーである。ワンダーワールド。せめてワンダフルにして欲しい。

 

ここで書いた文は、特定技能の費用でも。サイトの金額でもない。僕が言いたいこととして、個人として判断すると合理的に判断出来るが、組織として動く場合。非合理も受け入れないといけないということである。是非ではなく、全体最適を図ると局地的最適が潰れ。局地的最適を意識すると全体最適化ができなくなるという。企業あるあるである。

アンパンマンが人を殺さないのはコンテンツのグラデーションの違い

そろそろ。自分の中の初期OSをぶっ壊さないといけないような気がしてきた。幼少期。親から言われてきたこと。結構、大切にして生きてきた。とはいえ親世代と生きてきた時代が違う。違うからこそ。刷り込みのようにインストールした教えをアンインストールする必要があるように思う。アップデートでは足りない。

 

もはやアップデートで事足りるなら。そっちの方が楽だと思う。そもそものOSから変更しないと。時代はIOSにandroidですぜ。つって。それなのに、親世代の教えはWindows95レベルだったりする。まぁ、バブル崩壊しているけど、バブルも経験しているよーねーという。恩恵受けているいるよねー。と。

 

誰かを救いたいと思うなら。先ずは自分が溺れていたら意味ねーよつって。ここで脳と身体についての表現だったけど。要するに。今のOS。思考なら溺れてしまうという身体状態だ。僕自身の最近の違和感も不信感も刷り込みが悪い。ただ、完全に悪かと言うと世界や社会や人間なんで。悪くもない。ただ、生きづらいという状態が残るだけである。

 

何故?このブログで書いたか?

やはり書くことは意味があるから。それは僕の中だけかもしれない。だけど、一種、このブログに書き置くことで意識させるという意味合いが強い。

 

やはり。今まで触れていないコンテンツに。領域に入っていかないといけない時期なのかもしれないねという。安全・安心とは無縁の世界で。とりあえず、自分は生き残らないと。まぁ、死んでもいいという自分も居るのだけど。それなら死ねばとも自分で思う。そもそも、この裁きのOSは、どこから?ともなるけど。

 

Windows95からVistaくらいに独自にアプデされているかも。(笑)

CPUもメモリーも古い。というか。高性能じゃないからね。そんなことを考えているのです。要は軸足の問題かな。社会人をしているし、福祉からも守れていないし、体調も悪いと。不遇。悲惨だが。笑えないけど笑うしかないという。そんな僕の世界だったりする。要はコンテンツのグラデーションなのだ。

色々と雑になってきたので雑にログ化した

最近は全てが雑になってきたので。割と雑に書き出していく。

 

なんだかんだ言って。仕事やスケジュール調整など。プライベートも含めるけど。雑になるが原因として、時間がないという要因が存在している気がする。以前のブログの記事に書いたけど、やはり人並の成果を出すために僕は時間がかかるタイプだから準備に力を割くといった旨を書いた。

 

雑の原因の1つかなと。個人的にはモチベーションで仕事は決まらないと考えている派なので、気合いで~。みたいな考え方には至らないかな。どちらかと言えば準備。こっちの方が僕にとって重要。

 

例えば。合同説明会の説明。20分。何を話すか?シナリオは書く。ただ、着座していただいた学生さまの温度感で話しの内容は変える。この準備は20分以上のあらすじを書く。まぁ、あらすじ。なんて大袈裟だが。準備として練るよねという話。

 

例えば。渉外業務。予め質問したいことを箇条書きにしているよね。とか。

 

そんなことを振り返ってみると。それ、準備不足やん!という答えが出てしまったようだ。もう少し、深堀りをしよ。僕はマルチタスクは向かない。基本的に注意散漫気味だから。やることを決めたら、とりあえず精神でやる。この、とりあえずやる。も以前のブログになっている。そして、案外。無意識のうちに優先順位はバッとつけて、雑に作業を開始するのも特徴かもしれないですね。

 

なんか、書きながら考えて書くみたいな。漫画家かな?くらいな。方向性のなさ。とはいえ。社会人としてサラリーマンとして社畜として。労働という過酷な状況でチャレンジャーとして生きている。まぁ、雑に進めておくことかな。

 

昔。小売店時代の新店舗オープン時に外で声出しをしていたら。(僕も若手だった)新人の子が、何て声かけるんですか?と聞いてきたのを思い出した。「ちゃうちゃう。躓くとこ。そこ、ちゃうねん。」という。こんにちは。が正解なのか、いらっしゃいませ。が正解なのか。コレ。今、リアルに考えると難しいけど。要は、その店舗のためになれば、どっちでも良いという。それ。

透明に近づくと限りなくブルーになった

限りなく透明に近いブルー。

処女作だったんだな。と。村上龍さんは小説より先に。散文的な本から入った。当時はサッカーを一応、やっていた。中田英寿と村上龍の本を買って読んだところがスタートだった。タイトルは、「文体とパスの精度」だった気がする。対談形式で読みやすいから読んでた。やっぱり、その時はサッカー好きだったから。だけど、基本的に人間嫌いであるから浮いていたし。そもそも学校へ行ってねーし。本格的に読書をするってなったのは、大人になってからかな。というか、僕の活用する「大人」は社会人ですからね。働いている時期に様々な本を読んだ。その一つのタイトル。その一つの著者に村上龍が居た。

 

「限りなく透明に近いブルー」の印象は、感情を排除しながら暴力・性(セックス)を書いていたような印象で。淡泊だけど。少しヤバい感。みたいな。やっぱり、限りなく透明に近いんだなと。後は。村上龍作品でいうと、69とか。こちらの作品は学生運動の真似をする高校生か中学生の話で、方向性が違い過ぎて僕の中で逆の衝撃という。その衝撃はYahoo!のニュースに村上龍氏の死去のトピックが出た時みたいなもの。正直。惜しむより、次の素敵な作家が出てくるのを期待するしかないね。

 

特別好きな作家でも無いが。勝手な解釈をすると。文体のパスの精度も小説も。やっぱり天才だが、努力を尽くす人間という。とても人間臭いところに着地する感覚で、清潔という言葉が似合う人物イメージがある。もちろん、他の著名人でも清潔という言葉が似合う方。たくさん居るのだ。なんて書いていたら透明に近づいて消えてしまいそうな自分が居る。それは、村上龍氏の死去のトピックスだけじゃなく。ただ単純に生きづらいという話なだけかもしれない。

 

ここまで書いていたら、文体とパスの精度を読みたくなった。中田ヒデが、インサイドキックを中学生か小学生か。練習し続けたという一文が今でも忘れられない。しかも、遅いと。気づくのが。それでもやるしかないという文脈も込みで好きな文章かもしれないですね。それを真似て、ずっと一人で練習していた。

最近のコンテンツ(少し古いけど)思うこと

最近のコンテンツを考えると和解できるか否か、ココが強く感じている(個人的に)。1人で死ぬんだったら、誰かのために死にたいと思うコンテンツと組織の中で良いから仲良くというコンテンツ。前者は、まどマギとか?後者なら、鬼滅とか?そんなことを考えている。その時代は、少し前のYouTuber。しかも、グループで活動しているYouTuberが、楽しそうに。面白いを共有しているイメージをしている。そして、アイドルとかも。そうだなぁと。AKB的な争い。戦い疲れが、今の時代に合わないと感じる。さて、和解。許せるか?そんな物語は、予定調和的。その書き方が、できていない僕の文章は基本的に時代に合っていない。どちらかというと、前者の誰かのために死にたい系の文章を書いているし、最近のブログの文章は、敢えて予定調和的に終わりの提示をしていない。どちらかというと、最後の広がるようなイメージで締めの言葉を無意識に書いていると思う。

 

そこで、言葉。無理やり接続させてしまえば、音楽の歌詞とかも。Official髭男dismのpretenderの歌詞を見ると強く思う。自分自身の感情の和解と感じる。それが7年前くらい?その辺りから完璧にコンテンツの変化を感じている。僕は、あなたじゃないよ。と。あなたは、僕じゃない。と。でも。痛いと。でも、相手を責めてないし、煽ってもない。そのバランス。では、最近の僕の文章は?

 

年齢のせい?我慢が効かなくなっている。もちろん、推敲という作業を省いて思いついたことをサラサラと思考の流れで書いているのだから。と言いつつ。この文章も思いつきで書いているし、見返しもしない。本当にログ的に書いている。これは以前の記事でも記載しているけど。

 

2020年代。現在。すでに戦い疲れという。そんなことを考えている。

そもそも議論にもならないダメ人間論

僕はダメだと。結構。言う。ただ、もう僕は年齢的に中年男性なので、僕ダメ人間なんだよね~。と言って。何もしないという行動を取ったりはしない。どちらかというと、ダメだから他の人間より動く。人並じゃないので、始発で会社に行き、仕事をする。というネガティブなわりにポジティブな行動で、社会の荒波をギリギリの精神で乗り越えてきた感覚がある。だって、人より早く起きて。人より仕事をして、人より動いて。やって人並。そんな人間なんですから。その反面、最近。若い方(ざっくりとした言い方で申し訳ない)を中心にダメなんだよねと自発的に言う方が増えた印象を受ける。

 

この。「僕、私。ダメなんだよね。」は、一種のバリアである。行動した時に、結果ダメだった時にダメなんだよね。の、ダメなんだよね。と、行動する前に、ダメなんだよね。と言う。この差が非常に大きい。もう、怒られれなれたから。特段。失敗というものを恐れることもない。ただ、損はする。人生。「ダメなんだよね。」と言って行動しない方が圧倒的に楽だから。それでも、やってみて。あぁ。ダメだった。と、やる前から諦めた。ダメだったら。言葉のニュアンスが違うよねって話でね。

 

冒頭の僕の働き方が正解・不正解じゃないけど。仕事だけじゃなくてね。なんでも。なんか突っ込んで行くくらいの感覚。昔の暴走族かよ。と。特攻つってね。交差点を1番で入るみたいな。(笑)

 

「とりあえず精神」で。生きてきた。辛いけど。生きている。コレが是か非か。実は僕も分からないが、辛いのは辛い。ただ、みんな辛いよねーと思っているので。自分だけが。という視野と視点と視座が低くなることだけは、極力避けたいとも考えている。まぁ人間なんて価値ないですよ。そんな一流でも無いし。それでも、歯を食いしばって生きるしかないよなっと。そして、そんなことないよ!という慰めも不要だということ。中年独身男性は今日も孤独だ。

言い訳を並べてみたが

最近は文章を書くことに楽をしていたので。その癖が抜けずにいる。うん。仕方ないかも。どうも、連想が飛びすぎるところがある。まぁ、繋がりの部分ですよね。薄々と薄味くらいに気付いていたんです。もう、減塩かよってくらいに。思考ログとしてメモのように、このブログを活用していたんですけど。どうやら無意識的に文章を書くときに、連想がやっぱり飛びすぎる。何回言うねんという感じだけど。

 

そういえば。最近は。ゆっくり読書する時間も減った。やはり小説とか読みたいな。せっかくなら古典がいいかな。まぁ、どこまでが古典か知らんが。色々な本を読みたい。ゆっくりしたい。結局なところ。仕事の合間に読む本は、仕事なり、何かの役に立つ系の本だし、それよりも物語に触れておかないといけないような気がする。まぁ、誰が良いとか。面白いとか関係なくて。リズム感と文体を眺めるだけでも違うような気がするとか言いつつ、そんな文章を書くことに才能があるわけでもない。無いけど、なんで。文章を書くのだろうか。僕は。

 

その辺りの深掘りも必要になってくると思う。思うけど。なんとなく。という。これまた。薄い意志の下に文章を書いているのですから。そら、上手くならんよと。ひとまず、仕事を片付けて本を読めるようなスケジュールにすることが目標ですかね。何か足りない。というより、何か接続が弱いと。一難去ってまた一難。問題や困りごとが増える。この文章を書くことについての困りごとは。大きく困る。仕事なら、困ったとしても金が貰える。僕の作品は、まだ。金を貰らえるレベルに居ないこと。そこのところが問題なんだ。サラリーマンをしていると、稼ぐということが安易に考えがちになる。

 

会社の看板で、信頼が成り立っているのだから。生身の自分で勝負すると。如何か?そんな疑問を投げかけてみても。難しい。その難しさは。何を売れば良いか分からない点だ。そして、生活がある。現在の生活は、僕が労働をして、成り立つように設定しているので、やはり労働メインで。文章を書かなければならない。

 

才能があれば。両立なんて簡単なんでしょうけどね。不器用な生き方しかできないので、そんな器用な立ち回りができたら。そんな困ってないよねと。そんなことを考えながら月曜日の朝を迎えてしまった。ウェルカム!なんて言ってないけど。

※ここまで。普段より丁寧に書いたが思考が飛んでる部分があり、少し笑えたが、書き直す程でもない。メモ・思考ログなので。エッセイじゃないし。という言い訳をね。