嵐のような土曜日・日曜日。それは金曜日の深夜に飛び込んだ訃報。それは僕の誰かの呼吸が浅くなる時。その時、僕は仕事柄、誰かの何かの新しい芽吹きを祝福をして企業としての義務を誰にも気づかれないように制度の説明をしていた。その僕の精度。
今年って。僕。前厄年の前の年なのに厄年かよってくらいの訃報続きに僕自身が驚いている。その時間は美しもあり残酷でテーゼとして。ありきたりな言葉を書き連ねる。通夜はハロウィンの日だった。上記の皮肉の上。日並び上の皮肉。父親が喪主であるから、力不足ながら、配置上の役割を自分なりに全うした。
その制度の精度は、状況が変わると落ちていく。訃報を知った瞬間に、上司や部長に連絡を入れる。本日(11/2)は出勤しますと。慶弔休暇が頭に浮かんでは仕事の予定を見た。出勤します。と言った時は気づかなかったが、就業規則で、慶弔休暇が終わっていたのを知った時に少し笑った。土日の公休で活用できない。詳しくは書けないが。付与日から既に労働をしなければならない状態だった。
前厄の前だよなぁ。
その突入に少しの恐怖を覚える。
僕自身の体調も優れない。僕の出所は田舎だ。村社会だからか?
今年の通夜・告別式には、近親者だったが土地柄の傾向がはっきりと出ていた。その違いは人間性という部分で表れていたように僕は思える。そのことを両親に伝えたかったが、文章と違い。会話という手段で伝えてしまったので語弊として受け取られた。元気なのは老人と子どもだけやん。みんな、悲壮感あったよね。と思ったことを発したら、どえらく怒りを買った。売ったつもりもないが買われてしまったので仕方ない。それも仕方ないと、通夜・告別式終わりで実家に帰った20:00を過ぎた辺りだったからだ。タイミングも悪ければ、発言も悪い。
※ここのみんな=いとこ。
その中でも僕も悲壮感の中に居る。結婚もしていないし、体調不良だし。生きることは苦しい。坊さんの説法より。生きている辛さを実感する方が有難いことなのかもしれない。唯一、僕だけが、家庭というものを持ってなかった。ヘラヘラして生きている。子どもの頃の僕を知る。叔母さんや叔父さんは、内気な少年として見られていただろう。いとこの中でも、僕と妹が最年少組である。上は50歳くらい。ある程度、社会人として年齢を重ねてきて社交的に振舞える僕を見られていたのだろう。火葬場で叔父さんがポツンと独り居たので、話しかけた。テレビで天皇賞(秋)を見ていた。それから競馬や麻雀の話をしたら、案外。父親とは違う性質の部分の僕を見て面白がってくれた。
人間。変わる。
そんな単純じゃないけど。