投資の話か創作の話かオールドメディア不要論の話か?混ぜて出てきた話

最近というか。オールドメディア系をすっかり見なくなった。詩を作成したり、投資をしだしたからでしょうか?テレビも新聞も不要になり、SNSとインターネットで確認することが増えた。ここまで聞いて、「えっ?」みたいな方が居ると思う。だけど、一番大きい理由は、弱小投資家になったと言った方がいいかも。

 

ここで注意です。僕が言っている情報というのは。一次情報を取りに行っているという意味です。マスメディアが一次情報と考えている方には、少し理解できないかもしれないですが、少しだけ我慢して見て下さいね。やはり、ネットは情報が早い。特にSNSは早い。玉石混交だが。そこで、該当関連企業や省庁のHPへ飛ぶという感じなんです。最近は仕事柄、厚労省のHPビューを伸ばしているのは僕です!!つって言えるくらいに。

 

それで、投資家としては。グッドニュースでもバッドニュースでも。企業のHPへ行く。まぁ、基本的に頻度は高くないけどね。最も重要なこと。決算日ですよ。良い決算は、企業規模によりますが、売上・利益率が市場予想より高いこと。プラス!次期のガイダンスも強気。ここに限る。でも、決算の予想なんてできないですから。

 

決算を跨ぐのか?一度、手放すのか?

この辺りは、個人投資家の投資スタイルによると思っています。まぁ、そんなこんなで。マスメディアいらね。とテレビも持ってないし、スマホだけだね。これが良いのかも分からないけど。あぁ。ギリ新聞は実家に行った時に見るかな。でも、最近は日本経済新聞も酷いし、大手の朝日・毎日・読売とかも不要なレベルかなと。まぁ、断言する必要もないけど。この辺りを精査する必要があるかな?

 

日経新聞だから、テレビだから。一次情報だろうという安直な考えは捨てるべき。

なんなら、今。世界各国の主要人や大統領などがリアルタイムで投稿していたりするんだから。それを記者の文に直して形にすることは、記者さんの意見が少なからず混じるわけ。※文章上の表現であり、構成及び編集作業上という意味である※

僕の拙い作品である。詩や文章も。解釈が必要だが、読み手によって意見が。思いが変化できるような作り方をし出している。

 

それを敢えて言い切りまで持っていくという行為自体が実に不誠実に思えてしまうのです。あくまでも個人的な感想だけどね。だから、マスメディア不要とは言わないけど。まぁ、要らないよねと。※こちらはブログ上での演出であり、特定の団体や企業を批判するものではありません。

この朝の時間に

一種。死にたいとは。青少年期に発言をしても、しっくりとくるんだけども。中年の男性が言ったところで自己責任じゃんと言われてしまう苦しさがある。本当に死ぬかどうか別として。そう思う事と若さは、価値があるよねと逆説みたいなことが言えてしまう。どちらかというと、このまま消えることができたら僕は消えます。みたいなオブラートに包む言い方をした方が大人な気がする。という、どうでもいいことを考えている。朝だ。

 

本日は曇り。雨が落ちそうで耐えている空模様を眺めながら。ぼんやりと。なんのために生きる必要があるのか?という答えなんて絶対に出ない問を立てて考えている。もう禅問答かな?つって。とはいえ、働いている身。なんなら人間と人間を繋ぐ役割をしている。なんかカッコの良い言葉を使ってみた。そんな泣き言を言っているから。勇気もなく覇気もなく知恵もなく。色々とない訳であるのです。3ない運動です。このさんない運動とは?なにを差すのでしょうか?忘れちゃったかも。

 

勇気の使いどころとして。ない勇気なので僕は。死に使いたいなぁとぼんやりと考える。この上昇志向の無さよ。大河ドラマの豊臣兄弟!で太閤さんが見たら、なんと言うか?「葉隠」は江戸時代かな?武士道とは死ぬことと見つけたり!的な。きっと無理だよね。多分、僕。どの時代に行っても無理だと思う。神仏は尊し、だが神仏に頼らず。この精神力の強さみたいな。

 

長生きしたくなるんだろうか?両親を見て思う。その逆で。才能ある者の若くして死というのは美化されがち。もし、その長さで勝負するなら水子の方が偉いんじゃないか?そんな疑問。ただ、自分を騙しながら生きているから。やっぱり、どこか無理しているんだろうなと。もちろん、社会人ですし、孤独だからといって誰かを巻き込むように生きるのも難しいし。そうなると、やっぱり死というのは、どっか生きるために考えておく必要があるね。僕の場合は。死でも病気とか、その辺じゃなくてね。自死的なことだよね。

 

まぁ、病死もありえる。このまま生きるとしたら孤独死だし。どー転んでもバッドエンドしかないな。少しニヤけた。

 

 

Yahoo!ニュースより。どうでもいいこと

子どもが書店で絵本を読んでいる途中、ページを破ってしまいました。店員から「買い取りをお願いします」と言われたのですが、わざとではなくても定価で購入する必要があるのでしょうか?(ファイナンシャルフィールド) - Yahoo!ニュース

 

こんなんを見せられたら不安しかないんだけど。ファストリの柳井氏が、日本人批判的な意見で炎上していたみたいだけど。こんなんが出てくるんやから仕方ないんだよなぁと思ったら気分が沈む。

 

倫理観なんよ。結局。

 

 

ようわからんもの

年々、歳をとっていく。当たり前だが、興味の対象がズレてマーケティングの対象外になっているのも分かるのだ。その中でも。リアリティショーというヤツだ。大前提。僕の家にもスマホの中にも、テレビやネトフリ等の契約をしていない。あぁ、ネットフリックス良いなと思ったらネットフリックスの株を買っていたくらいに興味がない。

 

それくらい。マス層と乖離があるのも理解している。リアリティ+ショー。もうフィクションじゃないつーの。リアリティなら。その場にカメラが有ったもダメなのだ。そして、ショーなんだから見世物なのだ。だからといって批判する必要も権利も僕にはないから。ようわからんものとして扱う。一応、頭の中には、ようわからんもの。として残しておくのだ。そうやって。頭を常に動かしてあげている。分かったと思った時点で、思考が止まる気がするからさ。ようわからんって状態が良い気がしている。

 

とはいえ、よく分からないとは非常に負荷がかかる。しんどい。よく分からないのだから。考えることになる。なんか、落とし穴にハマる感覚。どうしようもない世界の入口というと、お洒落感はあるかな?なんて。

 

リアルを語るには、体験しかない。それぽいことは。いくらでも出来る世界になりつつある。AIの進化が凄まじく。とても面白い。そんなお昼休みにブログをせっせと書いておるのです。はい。

それは誰の問題だろうか?

さてさて。一難去ってまた一難といった感じでしょうか。そこまで大きな問題でもなく、かといって問題を放置するのが正解でもないという問題の大きさ及び企業が抱えるべき問題なのか。それくらいに微妙に浮いたボールを掬う仕事として、評価されない仕事の典型です。4月入職の新卒の職員さんにバラつきが出始めている点である。もちろん、資格職なので僕には分からないこともある。しかしである。仕事の取り組み方や考え方に双方にバラつきが問題点だということ。

 

もちろん、教育という点で教えるが。この場合は僕がひとりで教える訳じゃないけど。全てが全てを教えることはできないのだ。しかも、企業は金を払っている。給与を。そう考えると、新卒職員さんと1on1を8月までに2回実施した。恐らく、当該部署に関しては1回しているはず。全てを教えてから実行は現実的に無理だ。OJTでも無理。そこには、見て学ぶ場面も出てくるが、なまじ。大学というものを出ているせいか。ここでは、別に学校を批判するつもりもないのだが、教えてから実行の順番に慣れ過ぎていると思う。

 

もちろん、既存職員側の声かけの問題もあると思う。「どう思う?」・「何が良かった・悪かった」・「どうすれば良かったか?」つまり問いだ。学問だと、入職した職員が思っているのであれば、そちらに寄せる必要がある。OJTもシフト制なので、全部が見れない。だからこそ、担当者以外の人間にも問いを投げかける時期に差し掛かっているのではなかろうか?という疑問。

 

批判ではなく、対応の問題だ。

なので、私からしたら相手側。向こうは。見ている世界が違う。だからこそ。すり合わせが必要になる。幸いに、アイデアを出してくれる方や良いと思う方。本質が見えている方も居る。だからこそ、基準を出来ない人間に合わすことはもったいないのだ。今はハラスメント問題が、拡大解釈されすぎて管理層を中心に神経をすり減らしている。権利は主張するが義務は?的な。これは企業内に限った話ではない。社会・時代の影響もある。とはいえ、投資家でもある自分は、歴史は繰り返さないが韻を踏む。という言葉もある。どこかで、このままでは、取り返しにつかないことになると当人が気づくことができたら良いとも思う。

 

上記のような場合。負担にはなるが、個人の問題を企業の問題にするのか?個人のスキルの問題として扱うのか?線引きが必要になる。そのために小さなチームを組むことが最適だと思う。大所帯なら責任感が薄れ、とはいえ仕事とは別に動くという。負荷がかかる。なんとも、いゃ~。なんともとしか言えねぇ。北島康介かよつって。

 

こんな文章を書く僕は歳をとったんだなぁと思った。

頭の中の僕はまとまらない

「何かをやりたい」と思った時。その何かを見つけるのって難しくないですか?外的要因があれば動きやすいと僕は思っているのですが、その何か。って内側から出てくるものじゃないですか。例えば、僕の場合は詩を書きたいと思うこともないんだけど。詩を書くにしても、きっかけは人間だったりする。展示をしようとなった時。あぁ、なんとかしなきゃと思ってたら。詩というものに行きついただけだったり。だから、詩について勉強したこともない。しろよ!とも思うのだが。

 

もう一個。例えると。「モテたい」は付き合っている彼女がいたり、既にモテていると、モテたいとは思わない気がする。まぁ、ある種の感覚ではあるのですから、彼女が居ようが居まいがもっと。みたいな欲があるのかもしれません。

 

ここまで書いてみて。おっと思った。「何かやりたい」とは人間の欲なのかもしれないですよね。美味しいご飯を食べたいは食欲。めっちゃ寝たいぜ!と思ったら睡眠欲。いゃ眠気か?性欲は、もっと人間と触れるとか?知らんけど。まぁ。マイルドに文体化すると人間と触れるになるが、ポリコレ的にも良い塩梅の文体なのかもしれない。

 

とは思うのだが。この何かやりたいが、手段ではなく、目的になると面倒だ。仕事柄。学生さまと接する機会が多いのだが。ガクチカみたいなもののため(目的)に、何かをやる(手段)。一種の逆回転を引き起こしている感じ。ちゃうやん!と言いたいけど。世間の流れがそんな風に流れているのだから仕方ないよねと思う。

 

本来、何かやりたいは良いことだと思う。それが、デモであれ、うーんと倫理的・道徳的に問題なければ。と書いた瞬間に、倫理観も道徳観も人間様によって違うよなとも思ったけど。難しいね。

 

昔は自殺志願者と言っていたけど。今は希死念慮と言う言い方をする。そーいや。まだ生きている文豪。北方謙三氏(水滸伝とかの人)が20年前くらいだろうか?とある雑誌の自殺志願者に対して、「読書100冊。その内2冊は太宰治。だが太宰は続けて読むなよ。死にたくなる」と返答していたのはクールだった。※ここは記憶なので正確かどうか確認はしておらず、事実と違っていた申し訳ございません。

僕の最近 (エッセイではない)

最近、思うんです。僕って案外ミーハー?って。そのミーハーの中に流行に乗る的な要素が皆無なんですけどね。ふっとした時に突然、頭の中にフックがあって引っかかる的な。それが今ちょうど。歴史と三島由紀夫と伝統文化。要するに過去のこと。歴史でもニッチで神戸の歴史を漁っています。と言っても。みうらじゅん氏のようにマイブームです!つって言うほどのことでもない気もする。そう、それは僕の中の空想や妄想だからかも。三島由紀夫ってなんで死んだんだろう?とか。文化とそういものも三島由紀夫に絡んで気になっているのかな?

 

みうらじゅん氏は、老いるショックなどという面白いことをしている。僕は一視聴者であり、コンテンツを見る側だ。そんな提供側にまわることはないと自負しておるのです。

 

さらっと。今は神戸の歴史を勉強している訳なんですけどね。まぁ、面白いの。これが、めちゃくちゃ面白くてね。なんか無駄に、これ小説的に出来ないかな?つって文章を書いている。勢いで。原稿用紙3枚か4枚のエピローグは書いたかも。個人的にプロットを組むと小説内で人間が動かないので、なんとなくでストーリーを出していく。無論。普通にサラリーマンをしているので設定なんぞ。細かな職業の解像度が薄いのは承知のうえ。もう活用していない古いスマホのメモに乱雑に文章にしていく。これ。去年も超短編の小説を書いたけど。病むのよね。うん。小説書くって正気じゃないよね。病む。

 

体質的に病み体質だから、文章を書くことで吐き出すのか?文章を書いているから病むのかは、鶏、たまご問題。たまひよ的な。たまひよって育児雑誌だったけ?そんな感じなのです。そうそう。ただでさ、調子も悪いのにね。自分から突っ込んでいくみたいな?

 

大きな変化として。禁酒してます。ドクターストップです。薬と普通に飲みすぎらしい。そんな近況報告です。