批判

ゴールデンウィークは実家に帰っていました。実家といっても目と鼻の先にあるのですが、自分の家にはテレビがないので基本的に読書をしたりスマホを見たりして過ごしています。ところが、実家には無駄にテレビがあるので流れてくる動画を見ていると悲しくなった僕がいた。

 

アジア各国に賃金も抜かれ、将来性もなく、技術力もなく、自信を失っているうえに努力もしない日本人たちの誇りを守るために大谷翔平選手の活躍を流すテレビにダルくなった。大谷アゲみたいな風潮が僕には受け付けない。現状から目を逸らすための道具になっている。メディアってこれで良いの?逆に問いたくなる。まぁ、僕の家にテレビないから良いけど。それでいて、報道の自由のランクが低いとメディアがSNSで発信していて、うんざりした。

 

確かに面白いものをつくるのは難しい。仕事でも面白そうなことって基本的に大変だからね。しんどいし疲れるし。良いことないよ。メディアで働いている中の人だって雇われているんだから楽はしたいよね。分かる。でも、今のオールドメディアに僕は期待していない。誰だって発信ができる時代にオールドメディアである必要性を感じないから。メディアでも間違ったこと発信すると叩かれる。ネットでね。今までは、自分たちの思うように発信していたけど、気軽に発信するツールと人が増えて、間違いや誘導を指摘されるようになった。そう思うと大谷翔平選手の話題は安牌なんだろうと簡単に察する。

 

誰からも否定されないですもの。大谷選手がヒットでもホームランでも凡打でも。流しておけば良いって安易な感じがして面白くないだ。別に大谷選手を否定している訳じゃない。否定しているのはメディア。特別メディア関連を見なくなったのは、匿名性が大きい面がある。旧Twitterで僕が何かつぶやけば、批判や反論が出てくる。それをなくしているのがメディアだと思う。

 

今の僕は疲れている。精神的に参っているから批判的な文章しか書けなくなっている気がする。何も進んでいないし、僕だけが止まっているような気もする。みんな前進しているのに。こんな批判をしたところで、自分の憂さ晴らし程度にしかならないのに。僕は何をしているんだろうかと思う。こんなことを書いても誰も得もしないのにね。ちょっと疲れてるんだ。

 

誰かを叩けばストレス発散になる。結局、僕もつまらない人間なんですよね。批判的になると文章を書いた気になってしまう。本当は違うのに。もっと、見る事をしないといけない。自戒の念を込めて。