なるほどですね

なかなか上司と会話が繋がらない。僕としては会話をしたいと思っているのですが、上司との接点がなさすぎる。一応、仕事ですから報告・連絡・相談をするのです。それ以外に雑談という会話の難易度が高すぎる。

 

上司のお言葉としては、僕の耳が腐るほど聞いている言葉。「何を言っているか分からない」や「意味が分からない」と僕が上司から一番聞いているワードである。この不毛な会話をしなければならないと思うと絶望的な気持ちから上司に報告へ向かう僕が居るのです。

 

コミュニケーション能力の欠如。昨今の新卒面接等で企業側が求める人材に使うワードでもある。コミュニケーション能力。僕の絶望的なコミュニケーション能力の無さからみても、入社後に手に入れたら良い能力でもあると思う。

 

仕事中に仕事そっちのけで業者との会話をしているの上司の話を盗み聞きしている。きっと僕にも会話の中での口癖はあると思う。自分では無意識に使っているんだと思うんだけど。つって書いてたら、仕事しろよって思った。仕事をそっちにのけているんじゃないよって。

 

上司はよく「なるほどですね」を使う。耳にタコが出来るくらいに「なるほど」を乱発する。耳タコ状態。業者との連絡に「なるほど」のなるほどは何つって。理解したとの認識で、こちらは良いのか?疑問だ。僕も最近は求人関係の仕事を任されているので業者との会話をしている。僕にも口癖があると思うので一度、録音して聞いてみたいです。

 

昨日も上司宛に、とある業者から連絡があった。普段通りに「なるほどですね」を乱発した挙句、業者の営業依頼を蹴るという事態になった。それなら、なるほどではないと思う。どうせ営業の電話だと思う。蹴るなら話しを聞かないで良いじゃないのつって。なるほど連発おぢ代表として上司を推薦したい。だけど、僕には推薦先が分からないでいる。

 

世の中には不毛な会話が溢れ出ている。今回の件を切り取っても不毛な会話だと思う。文章にすると、かなり不毛だ。コミュニケーション能力つってなんだろうか。あぁと解決するような簡単な問題でもなさそうだ。雑談も大事だけど、仕事では、雑談は無視されてしまう、このお言葉を忘れないように書き留めておきたいと思う。

 

ここまで書いてみて僕は、この、なるほど。使い勝手がいい。なるほど。使い勝手が良さ過ぎる言葉だぞ。敬語的にはアウトな気がするが、なるほどを活用すると相手を受け入れている感が出る。なるほど。

そんな気がする

僕にはPCもテレビも家にない。まったくデジタルジャンキー化してる。家にPCが欲しいなぁって思いながらも、買うお金もないし、有っても逆に使わないような気もする。無いから、あったら便利ぽいって感じるだけで、実際に有ったら活用頻度は低くなるような気がする。だから、ブログは会社のPCで書いている。職権乱用・公私混同も甚だしい状態で会社に居る。

 

無断休日出勤を繰り返して、いつか怒られそうな気もする。心配事の9割は起こらない。そんな本を読んだ気がする。だから大丈夫だろうという気もしている。

 

僕の有給休暇が散った日。僕は面接をしていた。様々な方にお会いできるので、個人的には楽しい。色々な方の生き方に触れる気がするから。当社の魅力を最大限にアピールしないといけない仕事でもある。

 

僕が社会に出た時は、代わりなんかいくらでも居るって考えられていた時期だったような気がする。実際に、かなり厳しかった。ブラック企業だった。今のゆるブラックとか言えるレベルにはないブラック企業だった。

 

最近、昭和がイタい。僕はギリ昭和生まれだ。でも、実際に生きた時代は平成だと思う。20代の時に小売店の店長をやっていた時の上司が、かなり昭和な働き方の人間で、よく怒られたものだった。「気持ちで売る」や「売り場のインパクト」など、個人的に刺さらない言葉を繰り出していた気がする。働き方も今とは違った。複数の自店を見ながら、売上不振店に深夜改装に駆り出されたり、始発で新規店舗の出店準備や応援なんかに行く。深夜改装で働いた次の日に無理やり休んだら、上司に怒られた気がする。

 

年俸制で残業代が無かった。もちろんボーナスも。その時の会社の社員の言葉は「馬車馬のように働く」だった気がする。月に1回しか休めない月もあった。平成時代に、なんと昭和的な働き方だと感じた気がする。そう思うと、今の働き方は良い。僕も恩恵を受けている気がする。ちゃんと休みがあり、社用電話に休日、電話がかかることがない。

 

その会社は、今。買収された気がする。待遇が良くなっていたら良いけど。多分無理な気がする。僕は当時、昨年対比で売上を一位取ったけど、認められなかった気がする。こんな絶望的な会社だったけど、図太さが付いた気がする。なんとなく、あの時にやってきたことが、これからも出来るとは思わないけど、良い経験は出来た気がする。

 

面接をすると今は売り手市場なんだなと感じる気がする。でも、良いことだと僕は思う。無理をしない働き方で成果が出るなら。

 

 

 

 

怒り狂うおっさんの言葉

先週のウィンズにて、最終レースが荒れた。ウィンズとは、場外勝馬投票券発売所のことです。要するに競馬の話。僕は、酒・たばこ・ギャンブルが好きです。子供の頃に抱いていたダメな大人像を順調に歩んでいるのを実感している。基本的に土日はウィンズに入り浸っている。

 

最終レースが荒れたとは、人気馬が1着・2着・3着に来ず、馬券外に飛んだって意味です。3連単が100万円以上の払い戻しだった。100円が100万円になったのだ。だいたいレースを見てたら、自分が買った馬が馬券内に来るか分かる。展開だったり、流れやポジション取りで。僕は、あぁって思いながらレースを眺め終えた。ちゃんと外れてしまった。

 

その後、喫煙所に行って、たばこを吸っていた。すると。ウィンズの喫煙所にやって来た、おっさんが怒り狂ってたの面白かった。「八百長や!!」・「馬を替えてるんや!!」・「だぼー!!」文字にすると緩いが、かなりの勢いで怒ってた。ふっと、おっさんが「こんなん誰が買えるねん」つって言ったのを聞いたので、もう一度、競馬新聞の馬柱をよく見てみた。実は、2着に来た馬を僕は買っていた。相手が来なかったのである。1着の馬は、どう見ても買える馬ではなかった。3着の馬は、僕からしたら買える要素がある馬だったので、これは、的中もあり得たと思った。

 

僕の中で基本的に競馬は仕事以上の熱量で取り組んでいる。去年の夏頃は競馬だけで生活費を補っていた。パチンコはしない。基本的に計算で勝てるから。競馬は計算で的中しない。僕の中で競馬の予想は運の要素を下げる作業だと思っている。もちろん、生き物だし、運の要素をゼロにすることは出来ない。僕の中で確信60%の自信があれば的中している感覚がある。後の40%は運です。展開とか流れが含まれるから。そして、むやみに馬券を買わない。自信のあるレースしか買わないのだ。

 

怒り狂ったおっさん。人生、楽しんでるだろうなと思った。基本的にウィンズには、底辺な人間しか居ないと僕は思っている。最近は若い子も増えた。でも、少子高齢化の波なのか、おじさんやおばさん。おじいさんやおばあさんが圧倒的に多い。おじさんとおじいさん率が高い。配当が安い(人気決着な場合)と安いなぁと文句を言い、配当が高い(波乱があった場合)と誰が買えるのかと文句を言う人種。オッズを見たら分かるものだがと思いつつ、そこは、優しさでスルーをしている。聞いてないふりをする。

 

面白いって思いながら、僕はレース以外に人間も見ている。でも、最近は有意義に時間を過ごさないといけないかもって思い出して、ウィンズから足を洗おうとも考えていたり、いなかったり。

社会とのズレがイタい

ズレってイタいよね。僕は基本的にズレていると認識して生活している。なるべく、イタい感じにならないように。社会とか会社内でズレているっていう認識を持って生活をするようにしている。

 

最近、仕事が多いって書いているけど。フッと考えた時に僕の能力的な問題があるのかもしれないと思った。僕が仕事出来ないだけで、一般の普通の人間なら処理が可能な仕事量の範囲なのかもって。もう出来ないのは承知の上で、抱えている爆弾という名前の仕事を処理するように怒られないように注意しながら、別の場所で地雷を踏む感覚を。考えたくないけど、そんなズレている人間なのかもしれない。僕は。

 

改めて僕の仕事ってなんだろう。自分でも理解しないでいる。事務で働いていて、雑務から人事関係の仕事や求人。PC不具合の対応とか。よく分からない。事務っぽいこともしてない気もする。部署内では珍しく、かなり部署間を移動しているので事務所内に居ない時が多い。絶え間なく動いている感じなのです。だからなのか革靴が摩耗する。良い革靴なんか履けないし買えない。

今週は新しい革靴を履いて仕事をしてたら、初日に靴擦れを起こした。痛い。物理的に痛い。世間でもズレているのに靴までズレるとは。おにゅぅの革靴。悲しさ倍増。それでも部署間を移動するし、呼ばれることが多かった。痛みが軽い歩き方はないか模索しながら。模索しても答えは出ずに痛かった。やっぱり答えはイタいだ。靴下は少し赤く血の色が付着していた。

 

どうにもならない僕の問題と革靴問題。解決の糸口はあるのだろうか。そんな中、変な歩き方をしていたら、仲の良い、以前に前髪ぱっつん発言をして下さった方に指摘された。笑いながら。同じメーカーの靴を買わないのか?と。僕は一瞬だけど時が止まったように。「えっ」つって。みんな、自分に合う靴とかを知って買っているのかな。疑問しか浮かばなかった。自分に合う選択肢があるのだろうか。革靴以外でも自分に合うモノを知って生きているのだろうか。なんだか疑問が湧いたけど、知る術もなく、なんとなく心に留めておくことにしたのです。

 

僕は社会でも、まだ迷子なのかもしれない。社会の中で僕に合う場所があるのかもって希望もあるのかな。でも、そんな希望を思えないけども、社会人になって20年前後になる。何者にもなれないし、今からじゃ全部が遅い気もする。そんな絶望感もありながら、なんとか生活をして生きているのです。自分に合う靴も探せられないし、働き方や生活の仕方も分からない。でも、なんとかやってます。

有給休暇がきれいに散った

生きている居心地が悪い。なんとなく違和感を抱えて生きている。僕にも不思議なんですけどね。表現するのが難しいけど。生活することの難しさ。普通の人生を謳歌する難しさを感じている。

 

有給休暇が飛んだ。休もうと思っていた日に面接が入った。担当部署の責任者に面接希望者の面接候補日を複数日出してもらったので面接日を決めたいという連絡をしに行った。2月上旬と下旬だった。上旬の日は、ちょうど僕が有給休暇を出した日と一致していた。有給休暇は既に承認されていた。僕は基本的にスケジュール調整を早めにしているので、有給日は3週間以上前に決めている。この日は都合が悪いと責任者に言ったら、想像以上の答えが返ってきて僕はダメージを受けた。

 

「今は売り手市場なのに面接日を遅らせてどうする?」・「面接日を遅くするのは心象が悪い」・「上旬に面接しましょう」つって。どうやら、面接者は僕より大切な人材らしい。この責任者は、ちょっと性格等が難しい方なので、上手く面接日を誘導出来たら良いなぁって思っていたら、きれいなカウンターを喰らったのです。求人の仕事を上司から丸投げされているので、この会社の求人ルールが良く分からない中で仕事をしている。引継ぎは無かった。

 

もちろん応募があったので嬉しいのだけど。僕は会社で大切にしてもらえない。簡単に面接って言うけど、僕がかなり準備をしないといけない。求人の仕事を始めてから、ありがたいことに面接ラッシュで自分の仕事が進まない。時期的なものもある。4月入職のために動いている方が多いのでしょう。人手不足部署の求人を出していって、応募があれば対応して、面接する。文字にしても手間がかかる。実際に面接までするとなると、面倒っていうのが本音です。でも、僕は少し面倒なことをするから仕事だと理解している。本当に面倒なことならアウトソーシングすれば良いと思っているから。

 

先週も無断休日出勤をして仕事をしていた。もちろんサービスで手当も付かない。こんなに頑張っているのに。人より仕事量が多いのに。バレたら怒らるかもしれない。でも仕事が間に合わないと更に怒られる。今週も無断休日出勤予定である。

 

面接では、待遇面の説明をする。残業代が付きます。残業は少ないです。有給は取りやすい環境です等々。僕は全て該当しないでいる。有給を取得する時には上司に休める日か確認されるし、残業代もサービスが多い。他の部署なら大切に人材として扱われているのに。

 

僕は会社の中で底辺層に居る。社会の中でも。上手く適合できない人間なのかもしれない。

携帯電話って今はなんて言うの

携帯と書かれると何を携帯しているか気になる。ケータイと書くと、なんとなく電話ぽい。スマートフォンよりスマホと言う。僕は、どちらかと言うとケータイと言うよりスマホと言う。携帯電話のことを。世代によって言い方は異なるのかなって思った。

 

会社で僕の所属は事務局と言う。事務部ではなく。事務局。どう違うか僕には分からない。なので、事務方のトップは部長と言わず局長と言う。そして、課長がいて上司がいて主任がいる。ちなみに、局長は60代で男性。課長は50代で男性。上司は40代で男性。主任は60代で女性って感じ。グループの本部機能として局長と主任が居るって感じ。先輩は3名。女性である。年齢も立場も一番下っ端の僕。

 

ある日の帰り。いつも局長と主任と上司と課長と僕で纏まって会社を出る。その帰り際、エレベーターの中で局長がケータイ忘れたかもって言った。その何気ない一言から携帯電話の呼び方の話になった。この5名の中では、ケータイ派が4名。スマホ派が1名だった。僕はスマホと言っている。ケータイと最近は言ってない気がする。上司のお子さんはフォンって言ってるとかで話が盛り上がった。

 

そう思うと、今の20代以下の方って。携帯電話を保有する時はもうスマートフォンだったんだよなと思うと。上司のお子さんがフォンつって言うのも分かる気がする。もともと、ガラパゴス携帯からスマートになった携帯電話でスマートなフォンな訳だから。若い方にとって、スマホはデフォルトになっている。当たり前の世界になっているんだよねって改めて感じた。

 

よくよく考えてみたらガラケーから見たらスマホはスマートだ。基本的にガラケー時代には、メールと電話と簡単なゲームと写真の機能位しか活用していなかったと思う。当時、流行ったゲームは「糸通し」や「チャリ走」とかあった。究極の一人暇つぶし時間に最適だった。どこか牧歌的な感覚が、その時代にはあったような気がする。

 

スマホは、スマートかもしれないが活用という面で見ると疲れる気持ちもある。ネットにも繋がり、アプリも便利なものがある。メールよりチャット機能的な使い方が主流だし、出来ることの幅が広がったし、音楽も聴ける。ガラケーより便利。だけど緩さが無いような気もする。情報が溢れ出て個人の力を超えているような感覚が僕の中にある。と言っても、スマホの機能を全て使いこなせていないけど。

 

写メも言わなくなったなぁと書いてて思った。小学生の甥っ子君は写真つって言ってるわ。僕は人との繋がりを求めているのにリアルでの繋がりが希薄になっている。僕のスマホはiPhone8で寿命が近づいている。そろそろ換えないといけないと思いつつ、気軽に換える事も出来なくなっているから困っている。

ブルーハーツが鳴り止まない

いつものバーの扉を開くと教養が溢れ出ていた。飛び込んだ席の両隣には教養に満ちた大人たちが居る。顔見知りの方も居れば、初めて会う方も居る。そんな教養溢れた会話に挟まれながら僕は話を聞いて考える。

 

文筆活動をしている女性が僕の左手に座っていた。バーの空間の話の流れの中で全国2位の肩書を持つ女性の文章を見せてもらった。単語ごとは攻撃的で味気の無い単語を繋げて、文節にすると僕にとって不思議な共感性を見せる文章だった。その女性は、「私の文章は鬱になる」とか「暗い」的な事を言われると自虐な発言をしたけど、僕には凄く良い文章に思えた。一言で言えば、愚直の美を感じた。

 

「気が狂いそう。優しい歌が好きで~♪」・「ドブネズミみたいに美しくなりたい♪」

 

数日後とある気怠い午後。仕事は山ほど溜まっているが、思考回路はショート寸前つって。会社内で仕事に集中出来ていない僕。オフィスには先輩や上司が出払っていて一人だった。突然、鳴った電話に全神経が集中した。

 

普段、電話に出ないように注意されている。と言うか僕が電話に出ないようにしてくれている。それは僕が仕事出来なさ過ぎて、電話にも出ることが出来ないからだ。電話の内容は「訪問看護の求人を見たけど、介護士は募集していますか?」と男性からの求人の電話だった。最近、上司から求人の仕事をぶん投げられたタイミング。少しは分かる。僕は、看護師の方は募集してますが、介護士の方は募集しておりませんと丁重にお断りをした。

 

すると。男性は代表に繋いでくれと無理難題を言う。いゃ、代表って社長じゃん。取り次ぐ訳にはいかない。ポンコツの僕でも分かる。そもそも医療施設には人員配置が決まっていて、看護師や保健師。医師等の人数に決まりがあるのだ。その基準を満たさないといけない。介護士はない。その男性が介護士として優秀でも、どうにもならない壁があるのだ。恐らく、看護師と介護士の待遇を見たら、看護師の方が良いに決まっている。無理筋を通そうとする男性介護士と僕は対峙した。

 

「取り次ぐことは出来ません」・「面接は求人担当と担当部署の責任者にて行うので」などなど。介護士男性が折れない。強靭な精神である。

あぁ、気が狂いそう~♪。

 

押し問答の末に、訪問看護の施設なので。訪問介護ではない点を伝えて電話は切れた。

 

文章を見せて頂いた女性と求人に電話をしてくれた男性。ベクトルはすさまじく違うが、この男性からも愚直さを知った。美しさは感じられないけど、きっと写真には写らない美しさがあるのかもしれない。

僕の中でブルーハーツは愚直の美を体現・表現していた人たちだと思っている。