善良さと傲慢さ

いつものバーで貴婦人から絵を飾っているってお知らせを頂いてバーへ行ってきました。ちゃんと自分が観て好きな絵の前で。少し恥ずかしいけど僕と絵を入れた写真を撮りました。自分の写真を撮るの何年ぶりだろうかと思いながら。普段、自撮りなんてしないし。

 

その日は色々な方とお話しをした。きっと名前を出してもいいと思うけど。祈る人である「くうたい」さん。漢字までは分からないしお名前も合っているか不安ですが、神楽とかやっているみたいです。全国を周っているみたいな方です。しかも若いのにしっかりしてるって僕は驚いたよね。そして僕のブログを見て頂き、色々と質問をしてくれた学校の数学の先生の方です。お二人とも頭が良いって思ったのです。その先生からの質問が面白かったから翌日、自分の過去の振り返りをしていました。

 

僕の名づけ親であるマスターは、僕を紹介してくれる時に。優しい人で「優人くんです」と、初めましての方に紹介してくれています。漢字もコレだよね。きっと。僕の中では、ひらがなで「ゆうと」って感じをしているんですけど。マスターの中で僕は色々な過去があっても優しいって印象が強いんだと思う。この善良さみたいなものが、僕の中にはあるのかもしれない。僕もなるべく悪い事はしたくないと思う。生きているだけで他人に迷惑をかける事も知っている。だからお互い様って僕は思っている。その一方で僕は、いつもブログを書いた時にマスターにブログ見て下さいってバーへ行っている事に気づいた。そんな言い方はしないけど、「ブログ書きました」とだけ言っている。でも、マスターに読んでもらいたい気持ちはある。この傲慢さも僕にはあるのかもしれない。僕はお客さんだし、マスターは忙しいと思う。なのに、僕がブログを読んで下さいって言いに行くのは申し訳ない気がしてきたのだ。

 

善良さと傲慢さ。

 

生きていく中で善良さだけで生きるのは難しいと思うし、善良のみで生きるには辛いと思う。傲慢さのみが強いと人としてダメな気がするし、少しの傲慢さも必要なような気もする。善良と傲慢の言葉の響きの中で意味は相反するけど、僕の中で混じり合って溶けているようにも思える。そんな事を考えていました。なんか不思議な感覚がした。僕は今まで生きてきて、そんな深く考えた事無かった。なんとなくボーっと生きている感じです。それでも、ちょっと考えたり、人生を振り返ったりするのも悪くないような気がしました。

 

僕としては真面目な文章を書いちゃった。