読書鑑賞文

世間ではメタバースとか騒いでいる時に僕の2022年を振り返ったら短めの紙芝居かなっていうくらい。紙を2枚程度めくると終わる中身の薄さに僕自身が呆れる。そのインパクトの無さでいうと逆大谷翔平選手かっていうくらいにインパクトに欠ける。でも、僕にも2022年の365日はあったんです。

 

僕の会社には就業支援事業所があって、精神疾患の方など働く意思があるけど働けない人の就業を支援している部署がある。その所長さんと雑談する機会があったんです。所長さんは大ベテランで何十年も働いている方で、コミュニケーションの話で盛り上がっていた。よくよく聞くと、なんと本まで執筆されて出されているとのこと。精神疾患者や働けない人に向けて書いた本だと言う。僕は『コーヒーにミルク入れて下さい。』くらいの感覚で、僕その本買いますよって言ったら本当に買わされた。

 

口は災いのもと。

 

軽く買いますって言ったけど。所長さんは、わざわざ僕の部署にまで足を運んで頂いて『ゆうとさん。何か忘れてない?本!!』って来た。こうなったら買うしか選択が無くなってしまった。そして翌日に本を買った。本のページ数は少なく、文字も少なかったので1時間30分くらいで読めた。読んだからには何か返さないといけないと思って読書感想文を書いてみた。下記に記載する。タイトルは読書鑑賞文。

 

コミュニケーションやコミュニケーション能力という言葉はよく聞くけど実際の定義って何って聞かれると困る。100人居たら100通りの答えの答えが返ってきそうな質問になるよねって思うから。『仕事だいじょうぶの本』というタイトルの柔らかみ、優しさ感と本書の中身のギャップが凄くて驚いた。小堺一機ごきげんようを見ていたらコミュニケーションを語るなんて、ごきげんようの時間では足りないぜって田原総一朗が出てきて、語るぜ。朝までいっちゃうぜって、いつの間にか討論するっていう朝まで生テレビを見ているくらいのギャップ。そんな熱量を感じた。

そして、はじめのページにコミュニケーションは国語や数学などと同様に教科として習うべきスキルだと書かれている。本書は教科書であり、計算ドリルみたなものだと思う。きれいに読むではなく、線を引き・書き込み・またノートに書き写しをしてボロボロになるまで使い込む本だと思う。もちろん教科として扱われるのだから学問の自由がある。やる自由もあれば、やらない自由もある。それで良いと思うし、個々の状況に合わせて読み進めていけば良いと思う。本書をマスターしたら普通の人よりもコミュニケーションが上手くなると思う。普通っていう言葉も難しいですけど、本書を読む前と後で確実に自分に変化があったと感じる。実際に例題に出てくる言葉やワードを私自身も、無意識的に使っていたりした。そして、その言葉やワードを複数知っておいて損はないと思う。

それらを型に派生させる力も必要になってくる。学問だから自由の後は派生だと私は思う。どう展開するか。例えば第2章の1節に『あいさつ』が出てくる。あいさつ+ひと言。例題として、あいさつ+今日の天気みたいに。それを足していく感じで相手に質問を入れるという発想があって良いと思う。『おはようございます』+『今日は良い天気ですね』+『〇〇さんはこんな良い天気の休日は何をされますか?』こんな感じに無限に広げていけば良いと思う。それが正解か分からないけど、思いついたワードを足していくことで広がっていけばと思う。

因みに、この感想文を読書感想文にしなかったのはチープな感じがしたし、感想を言える程の実力もないので敢えて読書鑑賞文にしてみました。これは私なりのコミュニケーションだと思う。私はコミュニケーションとは思いやりだと思っています。自分に余裕がないと相手と上手く話すことが出来ないよねって。言葉は人を嬉しくも楽しくも悲しくもさせる。どうせなら相手に喜んでもらいたいと私は思っている。だから最後に素敵な本を執筆された○○氏(所長の名前)に敬意を込めて読書鑑賞文を贈ろうと思います。ありがた迷惑にならないことを祈りながら。

ゆうと

 

こんな文を提出したら絶賛された。褒められたのです。普段、仕事が出来ない僕だけど。それがお世辞や嘘でも僕は嬉しかったりする。