自分無くし

「自分探し」

僕がまだ20歳頃(15年くらい前?)に流行った言葉のように思うんだけど、自分には何か出来るっていう自信がある人が自分を探していたように思う。今みたいにスマホSNSもなく、承認欲求みたいな言葉も無かった。

 

僕は普通なんだけど、他の人から見ると、ちょっと変わってるらしい。やっぱり、扉の向こう側の話なんだけど。いつものバーのことね。

そこへ行くと面白いことが多い。女性、男性関係なく、凄いカッコいい仕事をしてる人たちが集まってる感じで、凡人以下の僕は基本的に話についていけない。気を使ってか、僕の話になると謎になるっていうパターンが多くて不思議なのです。一言で「謎」って言葉を使うのも申し訳ないんですけど。マインドとかメンタリティとか分からないらしい。

 

僕は学生の頃、勉強も運動も芸術も全然ダメで。イジメの対象にすらならない空気だった。その内、学校へ行くのも諦めた。だから基本的に考え方は、出来ることより出来ないことに目が行く。コレは出来ないとか、コレなら出来そうだな。みたいな感じで。そうやって消去法で人生を選択してきたような気がするのです。だから僕は「自分探し」より「自分無くし」みたいな感覚が今でもある。どんどん可能性を消していって、自分が出来そうなモノを選択するみたいな感じで。

 

それでも仕事も出来ないのは悲しみしかないけど。今の仕事内容も消去法だ。コレなら出来るぞっていう感覚で選んだ。でも世間は甘くないよね。ミスが多いので。怒られる。そして、この僕の積極的消去法は1つの軸になっているように思う。

 

暇過ぎて。ブログをこんな書くとは思わなかった。